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2017/11
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入院するまで・1
陽太が生まれてくるまでのことを、残したいと思う。
つらさと向き合うことなのでできるかわからないけれど、
おばあちゃんになったときにも思い出せるようにしておきたい。
細かなことは忘れてしまうだろうから・・・


陽太がきた、と気づいたのは5週目の3月29日(2007年)のこと。
朝起きて「いる!」と確信して妊娠検査薬でチェック。反応あり。
翌日病院へ。
「まだ時期が早いので子宮のなかでちゃんと育っているか確認できないから、
10日後に来てください。」
・・・次の診察で陽太がちゃんと子宮にいることが判明笑顔
子どもが大好きな夫・たろうは大喜び。
たろうに「こ?んなにちっちゃいんだよ!あずきくらいっ」って話してから
この子はあずき、と呼ばれるようになった。
この次の診察のとき、わたしはあずの性別をどちらなのか
直感でわかった気がした。

それから2週間ごとの診察はドキドキだった。
つわりもなかったから、妊娠しているという感じがあまりしなくて
診察であずの心臓が動いているのをみると
「生きてる!よかったぁニコ」って。


最初は調子がよくって仕事も今までどおり
毎日バリバリこなしていたけれど、
16週頃からお腹が張り始めてたかな。
はっきりと強い痛みを感じたのは7月2日(18週4日)
病院に行く日だったので、そのことも伝えたけれど
「横になって治まれば大丈夫」と。
治まっても、また立つと痛いのですが・・・と伝えたけれどそのままに。
     
      てんとう虫 線


わたしは、自宅出産か助産院出産をしたかったので
病院に通っている間にいろいろと探して
ようやく助産院をみつけた。
ちょっと遠かったけれど、ほかになかったこともあり、
7月6日(19週1日)に転院。
この助産院は助産師さんのもと自宅。
だから親戚のおうちに来ているみたいだった。
助産院出産を望んでいたわたしだけれど、
なにかあったら・・・というのがやっぱり不安だったので
先生に聞いたら
「なにか、を検診の間にみつけるのが助産師の仕事。
ここでは普通分娩しか扱えないから、その場合は
病院に転院になります」

助産院での診察はドップラーでの心音・血流確認と子宮底長を測ること。
あとはお話したり・・・
待ち時間がないうえに、診察時間の30分はゆっくりと自分の時間なのでよかった。
ここに通い始めた頃から、急にお腹が大きくなってきて
張りも強かったけれど、診察で「個人差」と言われていたので
そんなもんなのかなぁ、と思い仕事は続けていた。

そして7月26日(22週)夜。
とうとう立てなくなってしまった。
翌日助産院に行くと「仕事をやめなさい」
あぁ?、そんなぁぁぁ・・・・・んー
「病院だったら入院させられるわよ!」と言われ
事の重大さにようやく気づいた。
あずのことが心配だったので、病院にも行きたいことを
助産院に伝えて紹介状をもって産婦人科にその日の午後に
診察してもらいに行った。
(以前の病院は助産院出産を認めていなかったので、違うところに)

そこではエコーや内診をして、いまのところ大丈夫だということで一安心
仕事も休むことにしたし、翌日からは結婚以来初めての
のんびりとした暮らしが始まる・・・と思っていた。

             
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入院するまで・2
我が家の近所にお稲荷さんがある。
戌の日(6月21日)からわたしはそこにお参りに行くようになった。
そのうちたろうも一緒に早起きして
「あずが無事に生まれてきますように。みんなが平和でありますように。
きつねさん、今日もあずをよろしくね」って毎朝お願いしていた。

わたしは仕事をやめてからも体調は一進一退。
その頃わたしが読んでいた本や自宅出産に関わる人などから
「安産するには1日3時間歩くこと!」と聞いていたから、
痛みで歩けないわたしは落第印をおされた気持ちだった泣き顔
それに、あずの胎動も感じなかった。
その頃唯一の散歩はすご?くゆっくり歩いて(15分くらい)
たろうの職場までお迎えに行くこと。
夏の夕方の風は気持ちがよくって、たろうとお腹のあずと3人で帰りながら
この道を手をつないで歩きたいなぁ、って思ってた

街並み線ブルー


お腹の張りが強くて痛くて少しの間しか立てない毎日。
7ヶ月の頃にはすでに臨月のお腹だった。
自分も苦しいしから、あずも苦しいのかなって思って
血流をあたためるために足湯をやったり、もちろん食事も気を配っていた。
もともと玄米菜食中心だったけれど、そのうえ陰陽で判断して・・・
助産院でも病院でもお腹の張りや痛みについて問題視されなかった。

ただ、8月27日(26週5日)に病院にいったときに
「首の後ろに脂肪が多く見られるけれど、この大きさになってくると
正確な判断はできない。浮腫の可能性は低いかな」と言われた。
これはダウン症の可能性を先生は言っていた。
この日あずはずっと背中を向けていて顔をみての診断ができなかったので
9月1日に再診。ちゃんとお顔を見せてね、って朝から言っていたら
ばっちり!そのうえ、笑顔みたいだった笑顔
先生が「これを見る限りダウン症の可能性は低いでしょう」と。
その夜、わたしの両親と夕食を食べ、たろうはあずの笑顔写真をうれしそうに
見せていた。

その翌日の夜中。
お腹がカチンカチンになって、うなされていた。
おかしいな?って思ったけれどお腹が痛いのはいつものことだし、
翌日の昼間にはいつもどおりだったからそのままにしていた。
そして3晩同じことが続いた。
今思うとなんてのんきな!ってあきれちゃうけれど・・・
9月5日にようやく助産院に電話して「すぐに病院に行って!」といわれ
病院に電話してお昼時間だったけれど診てもらった。

結果は「羊水過多の疑いと切迫早産。
赤ちゃんは元気ですが、大きい病院へ入院しましょう」
ええ???顔 びっくり
だって、1日にはなんにも言ってなかったのに・・・なんで?
わたしはいつもどおりだよ??

わけのわからないまま入院手続きがとられ、点滴(ウテメリン)をいれられて
救急車を待った。
その間たろうに連絡。
不安そうにしているわたしに先生が来て
「ここでみてあげられなくてごめんなさい。お母さん、がんばって!」と
わたしの目をしっかりとみて言ってくれた。
この言葉がわたしをずっと支えてくれている。

そして、人生初めての救急車を経験した。



☆ あず、とは陽太がおなかにいたときの名前
入院生活・1
着いた先は大学病院。
そのまま診察室へ運ばれ内診へ。
その診察台といったら・・・
ふ・ふるいjumee☆faceA107
そして先生と何人もの研修医が入ってきた。
もう、わたしの気分は最悪。
実験されている気分困り顔
<話には聞いてたけれどまさか自分がこんな目にあうなんて・・・>
これからも内診のたびにこんなに研修医がいるのかと
思ったらもう嫌になってしまった。

部屋(個室)に移動し、先生たちが来た頃たろうも到着した。
そのころのわたしは、点滴(ウテメリン)の副作用でひどい吐き気がしていたし
研修医が常にいる状況がいやで、カリカリしてた。
オリに入れられてしまった犬のような気分で、病院のすべてが
わたしの敵にみえていた。
先生の説明は「羊水過多・切迫早産ですが様子をみましょう。
おとさんからはなにかありますか?」といわれ
調子の悪い自覚のないわたしは
研修医が常にいることが耐えられない、なるべく早く退院したい、
点滴もなるべくしたくない、と伝えた。
もう、ほんとに現状を全部否定してたなぁ・・・

ようやくたろうとふたりになった途端に吐き気で戻してしまった。
ナースコールを押し、来てくれた看護師がなんでもないことのように
「あー、気持ち悪かったんだねー。慣れるまでねー」と
まったくひとごとなその言い方に切れたわたしとたろうむぅ…
たろうが怒りもこめて
「こんなにつらい思いを家族としてさせられないっ!!点滴をなんとかしてくれ!」
結局明日まではガマンするとわたしが言ってその場は治まったけれど
看護師も怒ってたな?(そりゃ病院サイドとしてはね・・・)

入院初日で<おとさんち、大変だわ・・・>という評判がお医者さん・看護師さんの
間で広まったことでしょうjumee☆faceA109
病院はわたしとあずを助けてくれようとしているのにね。
ふだんから病院にお世話になることは少ないし、ちょっとしたことなら
薬をのまずに食養生でなおしちゃおう、というのがわたし達の考え方。
そして、お産するにあたって愛読していた本にあった、
<切迫早産の疑いで入院+点滴という処置を病院は必要以上にやっている
ことが多い、結果的に人工難産を作りあげている>ということが
いちばん頭にあった。
できることなら医療の介入なくあかちゃんのペースを大事にお産をしたい、
だから助産院で産みたい、と思っていた。
そんなわたしたちにとって、大学病院+点滴というのは望んでいたものと
正反対でとうてい受け入れられないものだった。

こんな荒れ模様の一日だったけれど、あずが元気だったのが救い笑顔
初日からこんなんでどうなることやら・・・

やぎ3


☆ あず、とは陽太がおなかにいたときの名前
入院生活・2
入院して3日目の9月7日。
ふつうの人の倍以上あるという羊水を抜く処置をした。
おなかに針をさすというので、もうドキドキ。
処置は分娩室だったので、この機会によく観察しておこう、と
思ったけれどそんな気持ちの余裕もなく・・・
緊張しきっていたわたしに「ずっとついてますからね」と
やさしい看護師さん。
「たくさん先生がきて怖いかもしれないから」って目にタオルをかけてくれた。

担当医がきて「麻酔しますからね、大丈夫ですよ」って言ったけど
いった?いっっjumee☆faceA46
先生、いったいどこに麻酔をしたのでしょう???
どうやら注射で少しずつ抜いている模様。
これがとにかく、痛い。
こんなに痛くてあずは大丈夫なの??
「あず、がんばろうね」ってつぶやきながら約1時間。
途中で看護師さんが
「音楽かけようか。ごめんね、こんなにかかるなら初めからかけとけばよかったね?」
そうだねぇ、CD持参でくればまだ気が紛れたかも?・・・

「おとさん、終わりましたからね。ほら、赤ちゃんも元気ですよ」
やっと、やっと力が抜けました・・・jumee☆faceA52
自分の羊水を見てみたかったので見せてもらったらおしっこを薄くした色。
無色透明がいい、と聞いていたので
「あんまりきれいじゃないですね」と言ったら
「これがふつうだよ」と先生。
じゃあ、無色透明の人っているのかなぁ?

今回羊水を抜いた量は約2リットル。
そんなに抜いてもまだ多いそう。
でも、わたしはとても楽になりました!
痛みに耐えた甲斐があったと思えるほど。
病室で待っていてくれたたろうと、先生と現代医療に感謝したよ照れ笑い
「あずもきっと楽になったね。よかったね?」と
うれしい日だった。
そしてこの日ついていてくれた 心配りしてくれる看護師・Kさんには
今後もお世話になるのです。

☆ あず、とは陽太がおなかにいたときの名前
  
みつばち

入院生活・3
入院して以来個室にいたけれど、
ずっといるのも個室代が気になる・・・と
ようやく大部屋に移動を。

1部屋4人の窓側jumee☆faceA4
同室の方は出産後の2人と子宮筋腫の手術後の方。
出産した人も子どもが新生児室に預けられているので
部屋にくることはなかった。
自分の子がどうなるかわからないのに、赤ちゃんと一緒というのは
耐えられないだろうなぁと思っていたので
そうでない部屋に入れてもらったのです。
ムリにお願いしてそうしてもらったのだけれど、
それが良かった!
筋腫手術で入院していたTさんがおもしろい人で、
待合室ではTさんを囲んでいつも笑いが絶えなかったjumee☆faceA2
おかげでわたしもすぐみんなと仲良くなって、
毎日おなかが痛くなるくらい笑って、あずが出てきちゃうんじゃないかってほどだった。
数日後にTさんは惜しまれながら退院してしまったけれど・・・

同室のNさんは子宮筋腫を抱えたまま妊娠し、出産して子どもは新生児室にいた。
ちっちゃい子だけれど元気に育っていて
「おとさんも大丈夫だから。赤ちゃんはおなかで話をぜんぶ聞いてるから
たくさん話しかけたほうがいいよ」っていつも励ましてくれた。
そのころ、あずの肝臓が大きくなっていて心臓や肺を押し上げていること、
詳しくは判らないけれど、もしかしたらここでは治療ができずに
うちから車で2時間くらいかかるこども病院に行くかもしれないこと、
障がいがあるかもしれないこと、
など説明をされていた。
Nさんには言わなかったけれど、心配な様子が伝わったんだろうな。

たろうとわたしは、障がいがあってもとにかくあずが生まれてきてくれることを願った。
たろうの親もわたしの親も、弟も
「みんなで育てていこうよ」と言ってくれた。

あず、安心して出てきていいよ。
みんなで守るからねjumee☆faceA4
たろうとふたりでそう伝えた。


☆ あず、とは陽太がおなかにいたときの名前

     
入院生活・4
9月16日・夜。
おなかがとても痛くなって診察(→なんでもなかった)
新たにマグセントという点滴がプラスされた。
この副作用はきつくてぐわ?ん、とくる。
お母さん、がまんっんー
翌日もおなかは痛く、夕方からは激痛だったので、
何回も頼んでようやく羊水を抜いてもらった(1.8リットル)
この日は祝日で担当医は休みだったから、
なかなか対応してもらえなかったんだろうな。
結局お休みだった先生が来てくれた。
ありがとう、せんせいうっとり
おかげで楽になって、次の日には
魔のマグセントがとれた。

9月18日。
先日のMRI検査の結果をたろうと共にきいた。

あずの肝臓が大きいということ。
腫瘍はみられない。
大きい肝臓に、肺や心臓が押し上げられてうまく機能していないのだろう。
生まれてからチューブでつなぐということもありえるが、
画像ではみることができないので、でてきてみないとはっきりわからない。
現段階では、こども病院での治療の可能性は低く、
ここの新生児科での治療となるだろう。
今後も新生児科の先生と相談しながらやっていく。

という話だった。
私たちは、あずが生まれて外の世界で生きていくことができないと
言われることをいちばん恐れていた。
それを言われなかっただけ、安心した。

「肝臓の病気があることは事実となったけれど、
ほかの病気がなかったらいいね。」
「いま、わたし達にできることは命のエネルギーの強い食べものをとって、
たくさん話しかけて、わたし達とあずのパワーと高めることだね」
「そろそろちゃんとした名前で呼んであげよう」

そんな話をした。

9月21日。

先生とたろうと今後のはなしをした。
あずの治療は生まれてからすること、
あずの状態が少しでもいいように
なるべくおなかの中で育てること。
それが目標となった。

わたしは入院以来、ほとんど食事がとれずに
どんどんやせていた。
羊水が多すぎて食べられない、ということもあったけれど、
わたしは玄米菜食中心の食事をしているので
毎食魚がでることに体が受け付けなくなっていた。
(お肉は入院当初から食べられないと伝えてあった)
それを先生に話したら、
栄養チームに連絡するのでそれは対応しましょう、と。
その後、魚は相変わらず出たけれど
おひたしなど野菜メニューが増えてうれしかったな。

あずの名前を決めるために、いままで聞かずにきていた性別をきいた。
どっちでしょう?
「はっきりわかりませんが、これをみるかぎり90%女の子でしょう」
「えー!?男の子だと思ってたのに・・・顔 びっくり
でも、どっちでも生まれてきてくれたらうれしいね。
たろうなんて
「女の子かぁ」ってでれでれしちゃって。
その日から名前の候補をふたりでたくさんあげた。
そのなかのひとつが、ここで使っているこの名前。

おと。

すきま風の、ひゅーっという音。
木の葉のこすれる風の音。
そんな風のおとは
落ち着く。


☆ あず、とはおなかにいた時の名前
 
陽太の誕生・1
9月25日。

夕方頃から具合が悪かったけれど、
夜おなかの痛みが強くなり発熱。
少しだけ出血もあり。

ナースコールを押してそのことを伝え、
モニターをつけた。
あずは元気だった。
出血も少量だから心配することはない、といわれ
内診はなかった。
熱が高いことがつらかったし、とにかくおなかが痛かった。
わたしは痛みをがまんするタイプ。
とにかく、がまんした。
熱のために、子供用の座薬の解熱剤を出してもらった。

痛みで眠ることもできずに明け方4時頃、2度目の出血。
ナースコールをし、何とかして欲しいと頼み込んで
ようやく羊水を抜く処置をした。
今回も2リットル。
抜いている間もとにかく痛かった。
このときは担当医ではない先生と
出来が悪いと評判の研修医がいた。
痛くてあえいでいるわたしに
「おとさん、どうですか?らくになりましたか?」
と何回も聞いてきた。
「かわりません」
「苦しいですっっ」
だんだん怒り声になるわたし・・・

抜いているとあずが針に近づいてくるらしく
「赤ちゃんが寄ってきちゃうな。羊水ももう抜けなくなってきてる」
と言う先生に研修医が変わってさらに抜こうとした。
「大丈夫?」
「はい。」
「抜けないでしょ?」
「そうですね・・・」

その間、あずは大丈夫なの??
もうやめてっっ、と心で叫んでいた。
「もうやめよう」とようやく先生が言った。

そのまま病室に戻ることはなく、
モニターと血圧をみる機械をつけて陣痛室へ運ばれた。
モニターは心音はつけずに、張りだけみていたから不安だった。
あずは大丈夫なの?心音きかなくてわかるの?って。

わたしの痛みはまったくひかずに、ひどくなっていった。
体が痙攣しはじめ、おなかまで痙攣することもあった。
見に来た看護師さんが、
「過呼吸だから、袋をつかって呼吸して」とビニール袋をおいていった。

この痛みはなんだろう?
あずは大丈夫なの?
なんで助けてくれないの?
どうして先生は一度もこないの?

激痛のなか、あえぎながら
「あず、大丈夫だよ。あず・・・」と話しかけていた。

とにかく喉が渇いて水を欲しがると、
飲ませてくれる人と、
「これから手術になるかもしれないから」と
飲ませてくれない人がいた。
手術ってどういうこと?
なんでなの?

なんにもわからないまま痛みにもだえ、朝の8時半頃。
夏休み中の担当医の代わりとなっていたY先生が来た。
痛くて内診台まで動けないと言うわたしを、その場で内診。
「・・・・・!!!!」
Y先生がなにかを叫んだ。
すぐに看護師がわっ、と部屋に入ってきた。
あっという間に着替えさせられ、点滴の針が入れられ
麻酔科の先生が来てアレルギーの有無を聞かれ、
手術の承諾書代筆・術後の部屋のことなどたくさんのことが
一瞬のうちに進んでいった。

「おとさん、陣痛が起きています。
赤ちゃんのふくろがすぐそこまで来ていますから
緊急手術をしますね」とY先生が言った。

手術室まで看護師さんがずっと手を握ってくれていた。
心強かった。
わたしは「あず、がんばろうね」とつぶやいていた。
陽太の誕生・2
手術室に入ったら名前と血液型を確認。

たくさんのスタッフがいる。
ちょっと顔色の変わっているY先生の姿がみえて安心する。
新生児科の先生もいるみたいだった。

酸素マスクをしたわたしは苦しみながら
手術台のうえで破水。
温かいものが大量に流れた。
子宮口は助産師さんが押さえている。
しばらくすると全身麻酔をします、といわれ
2秒後には意識はなかった。


次に目覚めたときは病室。
たろうの顔があった。
「あずは?」
「ぎりぎりだって・・・」
たろうの目は真っ赤だった。
あず、生きて産まれてきてくれたんだ・・・
わたしはそのことに安心して、また意識はなくなった。

夕方4時頃たろうが新生児室に呼ばれた。

しばらくしてY先生がきて
「おとさん、NICUに行きましょう」
ああ、なにかあったんだ・・・
そう思いながら、ベットごと移動しあずのもとへ運ばれた。

あずは保育器のなかにいた。
ベットからはあまりよくみえなかったけれど、
初めて会ったわが子におもわず
「かわいい・・・」と笑みがこぼれ愛おしさがこみ上げた。
でも、たろうの顔は真剣だった。
そして、新生児科のS先生が説明をしてくれた。

「・・・このままさらに治療することも可能だが、
見込みは少ない。今、パパとママに抱いてもらえたら・・・」
麻酔でぼーっとしている私に理解できたのはこのことだけだった。
抱っこをするということは、いまつけているチューブをはずすということ。
それはあずの延命治療をしないということ。

たろうの顔をみて
「はずしてあげようか」
と言った。
たろうも、うなずいた。

チューブをはずされているあずをみながら、
「名前、どうする?女の子だよね」
と聞いたら
「男の子だって」
えー?90%女の子って先生言ってたのにぃ。
やっぱり母親の勘の方がただしかったなー。

男の子だと思ってた頃
名前を考えているときにわたしの大好きな
作家・灰谷健次郎さんのサイン(太陽の子)を
みながら
「太陽の子・・・太陽・・・陽太はどう?」とたろうが言っていた。
わたしも気に入っていた名前。
だから、
「陽太、はどう?」と聞いた。
「陽太にする?そうしようか・・・」と
あず、はこのときから陽太と呼ばれるようになった。太陽小

陽太の誕生・3
陽太のチューブがはずされるのを待っている間、
わたしははやく陽太に会いたくてそわそわしていた。
たろうはずっと苦しそうな表情。

しばらくして、寝ているわたしの上に陽太が乗せられた。
「おも?いっっjumee☆faceA155
しあわせな重みを感じる。
うれしくてニコニコ。

看護師さんにベットの上に一緒に寝かせてもらった。
真横には陽太の顔。
「ようた・・・」
よ?く見てみる。
まゆとお鼻はたろう。
目は閉じているけれどきっとわたし。
お口のきゅってなっているのは、
たろうがこどもの頃よくしていた形なんだって。
笑っているみたいなかわいいお顔。

なんてかわいいの!!?
大好き。
大すき、だいすきハート
そんな気持ちでいっぱい。

ほっぺやおでこにたくさんチューをした。
たろうが抱っこしたり、
3人で写真を撮ったり、
たろうが沐浴させてあげたりした。
沐浴をしている陽太は
ほ?っ、と力が抜けてうれしそうだった。
あー、陽太しあわせなんだなぁ、と思った。

わたしは麻酔のおかげで、
陽太が亡くなるというショックがなかった。
3人で過ごしているこの時間がしあわせでたまらなかった。
たろうだけが、悲しみでいっぱいの顔をしていた。
いまでもそのたろうの顔を思い出すと
つらくなる・・・

そして陽太を預け、わたしたちは部屋にもどった。

その夜陽太はわたしの隣のベットで
ぬいぐるみのぶぅと一緒に
お母さん・陽太・たろう
と、川の字になって寝た。

陽太。
大好きだよ。
いつまでも
だいすき。
大切な お父さんとお母さんの子。
☆ ようた ☆
Lilypie Third Birthday tickers
☆ プクー ☆
Lilypie
プロフィール

 おと☆

Author: おと☆
こんにちは。
息子・ようたは30週で生まれ、
胎児水腫のため数時間後に
お空へとかえっていきました。
こころの陽太と夫・ねこたち
ひだまり家族の暮らしです☆

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キボウのカケラ☆
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